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製薬会社に30年務めたAさんが、コロナを機に早期退職に志願した話

中央職業能力開発協会様 メールマガジン「 JAVADA情報マガジン【全国版】2020年10月号」 連載コラム”フロントライン〔能力開発実践者からの報告〕” 寄稿いたしました。以下全文です。

コロナ禍で変化するキャリア 

第3回は、コロナ禍で予期せぬキャリアチェンジを経験された、ある会社員Aさんの手記をご紹介したいと思います。コロナ禍において企業では、感染予防のために対策が取られ、職場での三密対策のためのテレワークや時差出勤の導入といった形で働き方が変化しました。その一方で、対面営業についても、人との接触そのものが制限されたことを受け、その方法の変化を余儀なくされました。

ここで紹介させていただくAさんは、新卒から医療系営業職として幾つもの外資系製薬メーカーで30年以上に渡りキャリアを積まれた50代の男性です。人々の健康に貢献でき、最先端の癌治療薬に携わる仕事にやりがいを感じておられましたが、コロナ禍をきっかけにご自身でも思ってもみなかったセカンドキャリアに踏み出されました。以下にご本人のキャリアの変化を綴っていただきましたので、そのまま掲載させていただきます。

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2020年2月の出来事

 まだ寒い今年の2月27日夜、1日の営業活動が終わり病院駐車場の社有車に飛び込み、暖房のスイッチを入れ、いつもの様に、ネクタイを緩めて一日の最後のメールチェックを行った。その中のある一通のメールで冷たいものが体を走った。

「コロナウイルスの影響により、明日から営業社員を中心に自宅待機。営業方法は基本的にWebで行うように。詳細は直属の上司から追って連絡がある。」暗い車内でもはっきりとわかる機械的な文字が飛び込んできた。「明日アポイントあるんだけど?」「先生の講演会の予定はどうなるの?」「いつまで待機なの?」とネガティブな考えが浮かんでは消え、自宅までの100kmを越す道のりをどうやって帰ってきたのか今でも記憶が定かではない。

そこから新たな仕事への模索が始まった。

製薬会社を取り巻く環境

 国土交通省のデータによるとテレワーク制度が勤務先で導入されていると答えた社員は平成30年で19.8%令和1年で19.6%となっている。

 

出典:平成31年度(令和元年度) テレワーク人口実態調査

 

 伸長率の詳細は他にゆずるが、この中でも製薬会社は高い導入ではないかと実感していた。歴史として製薬会社は早いタイミングで週一回のノー残業デー、在宅勤務制度の導入を行っていたので、比較的スムーズにテレワークが導入できたと思っている。しかし業界全体では、というと疑問符がつく。内勤業務の社員は制度を使えても、 MR(Medical Representative:医薬情報担当者)はまだまだ制度を使うには準備が出来ていなかったように思う。MRの現場では医師とのアポイント、薬剤の説明会等はパイロット的に「Webで行うように」と社から指示が流れてきてはいたが、相手方である医師への周知徹底が上手くなされず、またWeb環境も整わずで「まぁゆっくりやっていこう」「直ぐにアポイントをWebでやらなくてもいいだろう」とまだまだ大丈夫と緩い雰囲気で日々過ごしていた。そんな中のコロナ禍である。現場はこの様な状況だったので、2月27日の夜の私の混乱もお分かりいただけるのではないだろうか。

不安と悩みの末で決断

 その後の生活は一変し、「PCから離れることができない自宅待機がいつまで続くんだろう?」と毎日思っていた。その頃よく聞いたのは、「営業をリモートで行えば以前の活動より効率的に顧客にアクセスができるだろう」との言葉だった。実際、これまでより多い、日に10件アクセス出来た日があったが、疲弊度が全く違う。日ごろは病院から病院の移動の時に頭を整理することができ、リフレッシュしていたことに気づいた。頭ばかりを使っていたからだろう。身体を使うことも大切であると改めて実感した。

 実は2019年末に、会社から早期退職を行う旨一斉メールが流れていた。実施日は4月末日。私は軽い気持ちでそれを読み、事前説明会への出席もせずに年を越していた。来年の今頃もここでMR活動を行っているだろうことを当たり前のように考えていたからだ。しかしコロナ禍によるテレワークなど、仕事が一変するなかで少しずつ気持ちに変化が起きた。これからはMRの人数はどう考えても今まで通りは要らず削減していくだろう。大きな不安が急に私を支配してきた。また50歳を過ぎてから、頭の片隅にはいつもMR生活の将来に対して漠然と不安を持ちづけていて、このタイミングを逸すると将来への不安は増すだろう、との気持ちが日に日に強くなり、気づいたら早期退職を選択していた。

セカンドキャリアへの模索

 ここからセカンドキャリアへの自分なりの研究が始まった。そこで行ったことは今までの仕事の棚卸しであり、職務経歴書を斜め書きしてみたり、MR職と自分自身の関係性を思いつくままに整理したりしていった。そんな中で自分にとってセカンドキャリアとはなんだろうと思いを巡らせてみることができた。

 その答えが行き着いた先は「やりたい仕事をやる」であった。子供の頃、将来どんな職業に就きたいかと聞かれ、国鉄の車掌さん、体育の先生、自分でお店を開きたいとよくこの3つを挙げていた。実際どれも叶わず、もうできないだろうという諦めの気持ちと共にいつも心のどこかで憧れも持っていた。でも本当にもうできないのか? 

 もっと考えていくと、「やりたいこと=好きなこと」だと気づいた。これだ!やりたいこと好きなことをセカンドキャリアでやろう!そして何よりもずっと社会の役に立っていたい!という思いも明確になった。国鉄はもう無い、教員免許も持っていない。ならばお店を開く、これだ!と決意した。子供も独立し、幸い妻の理解も得られた。気持ちが決まると早速動いた。たまたま近くのスーパーに食品の訪問販売(軽トラックに商品を積み、主に買い物に行くのが難しい高齢者宅などを訪問する)の募集のチラシが貼ってあるのを目にして、その場でスーパーに連絡をとった。その後、説明会、訪問販売のOJTと話はとんとん拍子に進んでいった。

今、思うこと

コロナ禍により思い描いていたキャリアとは違うキャリアを歩むことになった人も多いのではないかと思う。そんな時こそキャリアコンサルタントに相談にいくのも良い方法ではないだろうか。自分にとってこのコロナ禍は自分のキャリアを振り返り、大きな決断のきっかけをくれた出来事だった。その渦中では悩み、迷ったこともあったが、多分この出来事がなければ、新たな一歩を踏み出せなかったのではないか。キャリアチェンジを迫られている中にある人でやりたい仕事が見つからないという人は沢山いるだろう。自分と同じように不安も沢山あると思う。そんな時は、自分と同じように子供の頃にどんな仕事をやりたかったのかを思い出してみて欲しい。非現実的だ、と思うことも多々あるが、何かこれからの仕事につながるヒントが隠されていると信じている。その純粋な仕事へ対するワクワクする思いは、必ず自分自身、そして社会に役立つものになると強く信じている。

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第4次産業革命により私たちの働く環境は大きく変化することが予測されています。しかしそれより遥かに速いスピード、かつ突然に、世界規模でのウイルス感染症によってその変化は引き起こされました。様々な制限や環境変化の中、企業はこれまでと違う舵取りを求められ、そこに働く一人ひとりもまた、Aさんのように大きなキャリア選択を迫られるケースもあるのではないでしょうか。

これまでの経験や知識に依存せず、コロナ禍を「自分の背中を押してくれた出来事」と捉えた画面越しのAさんは、セカンドキャリアの一歩を楽しそうに踏み出されました。一方、まだ先の見えない状況の中で迷いや不安の渦中におられる方々が少なくないことは想像に難くありません。人生に正解はありませんが、不安や悩みに寄り添い、人生の大きな選択を支援するキャリアカウンセリングの重要性を、これまで以上に感じています。

 

 

 

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